軽井沢の冬を暖める薪ストーブ 木と火がそばにある暮らし

 軽井沢のリモート生活で“どハマり”したことがある。薪ストーブだ。木を燃やして暖まる、ただそれだけのものだが、薪に着火するためにテクニックを要したりとなかなか奥深い。着火剤を使ったり便利な方法もあるが、そこは敢えて使わず、木と火に向き合って一人前の焚き火にしたい。それはまるで子育てならぬ“火育て”。冗談のようだが、パチパチと音を立てゆらゆらと揺れながら暖めてくれる炎は、まるで生き物のような存在感でそこにいる。そんな火の焚きつけや薪を集める作業等、‟冬の火”をめぐる軽井沢の生活が東京者の目には何もかもが新鮮に映った。

切り株に切れ目を入れて焚火を楽しむ「スウェーデントーチ」

薪を手に入れる

 軽井沢の暖炉シーズンは10月中旬から始まる。そのため地元では秋を迎える前の春夏から薪の準備が始まる。自宅で薪割りをする人もいれば、スーパー等で売られているものを購入する人等そのスタイルはさまざま。さらには薪を定期的に届けてくれるサービス等もあるというのだから、ここでの薪はまるで寒冷地の灯油のような当たり前の存在になっている。

薪は店舗でも販売されている。サイズにもよるが発地市庭では一束350円ほど
切り株に切れ目を入れて焚火をする「スウェーデントーチ」も2,000円ほどで売られている

 もっとも、現代なら薪ストーブより手っ取り早く暖まるストーブはいくらでもある。実際、冷え込んだ夜に到着したときには、まず急いで石油ストーブと床暖房をつける。その上で時間をかけて薪に火を焚きつける。そして薪が順調に燃え始めたら灯油ストーブを消す(床暖房は消さない)という、ちょっとズルい手を使う。そう考えると自分を含め、現代人にとって薪ストーブは娯楽の一つなのかもしれないが、軽井沢にはそんなゆっくりとした暖の取り方を楽しむ人が多いようで、生活に薪の文化が根付いている。

 家々の外壁に積み重ねられた薪や、スーパーで薪が売られている光景も独特だが、とくに興味深かったのが公設の「貯木場」だ。町内で伐採された樹木の幹や剪定された枝を集め、他の用途に有効利用することで無駄のない資源循環を目的としている。

軽井沢にある公設の貯木場。廃棄しに来る人と、再利用するためにもっていく人が行き交う

 剪定された枝は破砕してチップに再加工され、無料で提供されている。木の幹や枝なども、サイズは不揃いだがその中から自分にとって都合の良いサイズの木を選んでもっていくことができる。チェーンソーを持ちこみ、その場で丸太を薪のサイズに切り分けて軽トラで運ぶ人もいれば、我々のように自宅の薪ストーブに入るサイズの枝をかき集めて自家用車のトランクに載せて行く人もいる。

大きな丸太もあれば…
細い枝もあり、木の種類はもちろん、形やサイズも多種多様

 木の種類も様々で、「これ燃えやすそう」「これが燃えたら嬉しい」等と言いながら拾い集めるのはまるで宝探し気分。店舗で売られている薪は形が均一で、よく乾いて、よく燃えそうなサイズに仕立てられていて一束400円程度なので、それはそれで価値があるのだが、せっかくの木。灯油や石炭と違って加工せずそのまま使える自然燃料なら、自分との間に何も介さないそのままの形で使いたい。大げさにいうと、自分にとってこの貯木場は、木を使う生き物として無理なく自然のサイクルに参加できる(気がする)場所なのだ。

薪にちょうどよい形の木を探して、トランクに詰め込んだ状態。豊作♡

火を育てる

 火を焚きつける作業は、「育てる」作業に似ている。何もないところから火種を作り、だんだんと大きくしていく。山火事という事故があるくらいだからすぐ燃え広がるものかと思いきや、そうではなく、なかなかテクニックを要する作業だ。焚き付けに慣れてくるとわかる。山火事というものは相当条件が揃わないと起きないものだと。

 焚き火を行う上で、着火剤等を使わずに自然にあるもので着火することにこだわる人がいるが、自分もわりとそうありたいと考えている。ただ、自分の場合はちょっと違って、日常生活で不要になったものを焚き火に再利用できるなら、決して自然由来のものでなくてもいい。というか、それができたらむしろ嬉しい。

 その一つが牛乳パックだ。知っている人も多いと思うが、牛乳パックの内側は牛乳が外に漏れないようにロウでコーティングされているため、普通の紙と比べてゆっくり燃焼し、しっかり薪に火を移す。地味だけど、灰が出ないほど身を燃やし尽くして周囲の木を焚きつける様がかっこよく、「自分もこうありたいなぁ」等と思ってしまう。

焚火の着火に役立つ牛乳パック。軽井沢の暖炉を楽しむために東京生活で空き箱をコツコツと溜め込む。三角に刻むと使いやすい

 木に着火したら完成でなく、そこから「火育て」の作業が始まる。酸素の供給と、暖炉内の温度上昇のバランスを考えながら、暖炉の前で見張り番。といっても消えないように気を付けるだけで、ただただ火を見つめているだけなのだが、それでもいつしか1時間が経過していることもあって、いつもと違う時間の流れに驚く。

松脂を含んだ松ぼっくりも着火剤になる

 始めたばかりの頃は、ただ燃え上がる炎を見ているだけでも楽しかったが、最近は熾火(おきび)の魅力がわかってきた。強い火は荒く燃え尽くすが、熾火は使い方次第で「作り出す火」になる。炎のような派手さはないが、手を近づけると炎の熱さというよりも熱による痛さを感じる。この遠赤外線が肉や芋を美味しく料理すると思うと、熱の痛さが愛おしくもなる。

熾火になったら”自立”に成功。そんなに面倒を見なくても勝手に燃えてくれる

 また熾火になった薪が暖炉の中で折れ、火を放たずに方々でバラバラになっていても、赤く熱を維持しているそれらをかき集めると再び炎を上げて燃え始める。これまた、それぞれエネルギーをもった人たちが集まると何かが起きるのと似ていて、自分の周囲にいる人の顔を連想してしまったり…。

 焚き火を見ながらそんなことをあれこれと考えている自分に、思わず苦笑してしまうのだ。

熾火で作った焼き芋。アルミホイルで二重にくるんで、熾火のそばに置き、50分ほどほったらかして出来上がり💛

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